介護認定の面談を受ける
今日は介護認定の調査員さんの面談という事で、イモートと一緒に私も参加。
お義母さんは車椅子で面談室に。
ちょっと頼りなさそうな調査員さん、おずおずと質問してたけど、義母は元気よく答えて、たまにとんちんかんなことも言って、立ってみせたりもして滞りなく終わりました。
今思うと、このころは本当に元気だった。食事は何もというくらいとっていなかったのに、不思議なくらい元気だったんだなー。
そしてこの前後にイモートと主治医、ソーシャルワーカーとの面談があって、ソーシャルワーカーに転院を迫られるが、先生がとりなしてくれて、3月いっぱいは病院にいられることになった。
緩和ケアがいいのか、療養付き施設がいいのか、ネットで転院先を探したり、看取りとはみたいな本を図書館で借りたりしていた。
お義母さんは、痛い様子もなく、食べ物は無理だったけど、駅ナカで信州りんごのストレート絞りのジュースを買っていってあげたら、半分ぐらい「おいしい」と言って飲んでくれたんだよね・・・にこにこして。
義母は末期がんと言われる
やっと先生の説明を聞くことになり、ナースステーションでパソコン前に同居人とワタシ。
センセイはひょろ~っとして笑顔がなすっぽい感じの中年男性。
CTの画像を見ながら、「大腸がんですねぇ~、おなかのは転移してるんだと思いますよ・・肝臓も、ホラ、こんなに・・末期ですねぇ・・・」と。
えええええええええええ
末期がん????ま・っ・き・が・ん???(←ワタシの頭の中)
「まぁ、これから詳しい検査をしていきますが、たぶん・・おそらく・・そうでしょう」先生はなす笑顔を絶やさず…普通に…仰っておられました。
ワタシは先生、CT見ただけでわかるんだ~スゲーとか思ったりしてた。
同居人はショックだったよね~ミョーにへらへらしてたもの。予想外の事が起こると
いつもミョーにへらへらするのよね。
1,2週間かけて検査していくということで、同意書を何枚か書いてお話は終わりました。
お母さんには、お腹の検査をするってーとだけ言って、病院を出て家に帰ったよ・・・
3月6日(月)のことでした。
義母と息子とヨメのながーい1日
日曜日は同居人が実家に泊まって、私は義母の診察券と保険証を預かって帰宅。月曜日の朝早くA病院に受付に行って、混み具合を確認してから同居人が義母を連れてくることにした。
土曜日に来た時に、外科と皮膚科を受診するように言われていたので、両方の外来で受付。追い帰されたんだからはよ診てくれい!的なオーラを出しまくっていたせいか、受付の感じ悪いおねーさん、「連れてきてくださったらすぐ診てもらいます」と。
しばらくして義母到着、しかし結構待たされ、外科、皮膚科と診察してもらう。
外科の先生も、皮膚科の先生も、義母のおなかのできものを見た時の目がやばかった。
驚きは隠してましたけど。
土曜日のCTをみると、腸がおなかの外に飛び出してしまう『ヘルニア』になっているとのことで、おなかのデキモノは、外科の先生も皮膚科の先生も、「うーん」と言いつつも、「これはガンだろう」と。
え?がん??これがんなの??とたぶん同居人もワタシも思ったことは同じだったと思う。義母はベッドに寝かされていたけど、聞こえていたはず。問診票に悪性腫瘍の場合など告知は本人にはしないでまず家族にというところにマルつけたのに!!
とにかく内科も受診してくださいということで内科に回され、受付終了ギリで受付し、待つ、まつ、松~
午後から実母の眼科の診察予約が徒歩5分の大学病院であるので、私はそっちへ移動。母に義母の話を延々として待ち時間を消化した。
このまま家に帰るわけにもいかないので、コーヒーを母におごってもらってゆっくり飲んでから義母のところに戻ったら、なんとまだ診察してもらってないと(もう3時過ぎてますけど)
結局診察してもらったのは4時過ぎで、それも今日は帰ってまた明日検査にきてくれと言われる。すかさず疲労困憊の同居人がセンセイにすがるように懇願、「も、もう明日は・・今日入院させてもらいたいんです(ToT)」センセイは危機感を感じてくださったらしく、「そ、それでは消化器系センセイに相談してみます」それから血液取ったりレントゲンやったり皮膚科で生検したりしてやっと入院できることになった。もう5時を回っていて、義母は口数なく、ぐったり・・
やっと病棟に上がれて病室に入ったときはもう6時を回っていました。
しかーし、このあと内科のセンセイを待って7時過ぎにやっと会えたのです
つづく
義母を病院に連れていく
突然ですが、タイトル追加変更にしようかと。
3月初めから義母のことで慌ただしくなり、今日同居人が末っ子の引っ越しと検査入院のため西に向かったので、はぁーブログ書くか・・・という気分になりました。
BGMはレミオロメン『3月9日』です(´;ω;`)ウッ…
あ、本題はじめまーす
3月の初めに、義母がご飯を食べてなくて起きられず、新聞が一週間から十日ぶんぐらいポストに溜まっていたと電話があり、びっくりして前から入っていた予定を変更して
4日の土曜日に医者に連れて行かなくちゃ!と午前中に間に合うように実家に行ってみた。実家のカギを開けて入ると、義母はベッドに寝ていて、力なく「ああ・・ごめんね」とちょっとだけ頭を持ち上げたけど、今までになくやつれて生気がなく、声が小さかった。
義妹(以後イモート)も来て今までの経緯を聞いたけど、かかりつけ医には行ったとか、今日は少し動けてるとかなんだかわけわからんだし、急いで医者に連れていくことに。
もうグッタリしていてやっと車に乗せて脳外科もあるS病院へ。
車椅子を貸してもらったけど、頭ががくーんと反ってしまって見るからにまずい状況に受付の人や看護師さんが大慌てで先生に伝えてくれて、すぐ診察室に呼ばれたんだけど
先生は立ったまま一目義母を見るなり「なんでこんなになるまでほっといたんですか!?うちはかかりつけではないし、診れません、脳に障害かと思ってうちに来たのかもしれませんが、麻痺もないし脳ではないでしょう、とにかくかかりつけの先生のところで診てもらって、うちには入院もできないし無理です!!」と思いっきり『なんでうちに連れてくるんだよ!迷惑だ!!』と言わんばかりの対応。
ええー?と思いながらもかかりつけ医に電話して移動、いつも血圧の薬と眠剤をもらっているおじいちゃん先生。おばちゃん看護師さんもみんな顔見知りで、「どうしたの~〇〇さん~この間元気だったじゃない~」と優しい。母も少し安心したらしく、「そうなんですよね~こんなことになっちゃって~」と苦笑しながらも口をきいた。「どれどれ横になって・・」とセンセイがおなかをぺろっとめくったら、そこにいた看護師2人、同居人とイモート、ワタシ、先生の全員がギョッとして目を疑って絶句という同じことを瞬時に同時経験しました。
それは、義母のおなかの真ん中のおへそのあたりに、直径7,8センチ円形に周りは盛り上がって中はグジュグジュになっている潰瘍?ができている光景を見たから。
「こ、これは‥何???」とみんなが思った。
おじいちゃん先生はもしかしたらわかったのかもしれないけど、急いで診てくれる病院を探してくれました。もう午前中が終わりかけていて、大急ぎでどこにするか考えて電話してくださって、市立A病院という大きな救急病院へ車を走らせた。
救急外来で受付し少し待って呼ばれてとりあえず検査。血液取ってCTもしたらしい。
入院だと思っていたから入院の荷物も持ってきていて、入院に関する問診票も書いて待っていたら、やっと検査が終わって診察室に呼ばれ、同居人、イモート、私の順でお義母さんに向かった椅子に座った。
しばらく待って、若い当直医のセンセがおでましになり、言われたことは「お腹のできものはなにかとか皮膚や内臓の検査は今日はできないし専門の者がいないので診断もできないので、また月曜日に外来で来てください。」と。一同え?「入院できないんですか?」Dr「栄養状態が危険というわけではないし、いますぐに命の危険性はないので一旦お帰り頂いてまた後日に・・」「え?でも・・・」Dr[特別重篤なわけではないですし、また月曜日に」以下繰り返しとなり、義母を車椅乗せて、一同すごすごと診察室を出たのであります。
そうしたら、いままでぐったりしてたお義母さんが急に「おなかすいた」と大好きなコンビニのますのすしおにぎりをパクパク食べて、元気にお話もするようになった。
腑に落ちないまま実家に帰ってお義母さんをベッドに寝かせてとりあえず地域包括センターに行って相談に行って、お昼を買った。もう5時になろうとしていました。
同居人の疲れっぷりは半端なく。今日はイモートが泊まってくれることになりました。
(3月4日(土))
末期がんの診断が確定
大腸の造影剤検査を2回?やって、やっと検査が全部終わり同居人とイモートがセンセイのお話を聞きに行った。
結果は、S字結腸ガンで、肝臓と皮膚にも転移しており、リンパにも転移が見られるが、もう検査はしません。手術もできないし、ご家族の意志で、抗がん剤などの治療はやらず、このまま治療はしないということで、
・・・余命は夏まではもたない、寝たきりになったら1ヵ月と言われたそうです・・・
え??1ヵ月って??でも寝たきりにるなんて、この時は思ってなかった。
そして、治療をしないということになると、他の病院に転院してもらうことになる、と
告げられました。
21日は病院に介護認定の面談に調査員さんが来ることになっていて、
でも、うちは末っ子が19日に引っ越しで、同居人は一緒に行って来週21日から23日まで大阪で検査入院だし、そのあと会社の株主総会もあるし、どうすっか??
とりあえず、ソーシャルワーカーとの面談を後日イモートがすることになりました。
お義母さんには末期がんだなんて言えないよ・・センセイは言ってもいいでしょ?という感じだったらしいけど。
少し前に、「私、がんなんでしょ?」って言ってたけど、「検査してみないとわからないからね~」ってごまかしたけど、がんなんだとは思っていても、末期でもう治らないとは思ってないもの。そんなこと言ったら生きる希望を失ってしまうだろう・・・
同居人とイモートは、やはり言わなかったらしいです。
検査の結果
木曜日の夜、先生からの説明を聞きに同居人とイモートが病院へ。
検査の結果は、S状結腸ガン終末期確定で、肝臓、皮膚に転移しており、手術はできない、抗がん剤も、本人の体力が持たないだろうし、リンパにも転移が見られるが、もうそこは検査しませんと。
食べられないのは悪液質だろうということで
余命は3ヵ月から6か月、寝たきりになれば1ヵ月だと…
でも、この時点で同居人もイモートもまさかそんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったよね。なんとなく、考えたくないというか楽観的だったもの。
自分の親は死んだりしないとどこかで思っているものだもの。
特に同居人は、考えたくなかったんだろう。
へらへらしていたもの。いつもの逃げたいときのサイン・・・
この週の日曜日に末っ子が関西に引っ越しで、土曜日まで慌ただしくしていて。
同居人は21日から検査入院だったので末っ子の引っ越し手伝いに一緒に行ったので、
私は実家に泊まってお見舞いに行ったのでした。
食事は相変わらず流動食で、大量の重湯、味噌汁の汁のみ、ミルクティーとかだったけど、義母はほとんど手を付けず、小さいスプーンで2,3口ぐらいしか口に入れなかった。
病院は楽しいって。
検査が始まり、お義母さんは「検査はイヤだぁ。」と言いながらもなんとか我慢していくつもの検査を受けていました。
でも、とてもきれいな病院で、先生や看護師さんやお世話をしてくださる皆さんがとても優しく、おしゃべりが生きがいの義母が「みんなとっても優しいし、いろんな人と話せるから楽しい。」と入院生活が大変お気に入りでした。
このころは、看護師さんに手伝ってもらえば、トイレに行けたし、車椅子に乗って食堂まで来て、大きな声でおしゃべりしていました。
私が行ってるときは、元気なときと同じようにずーっと1人でしゃべっていて、ベッドでしゃべっていると部屋の他の方に迷惑なぐらいで、しーっと言ってしまったことも。話の内容は、昔の話が多かったけど、次から次へと途切れなく話すので、帰るタイミングを作るのが大変でした。
いつも「バスの時間がね、」と言ってやっと帰るような感じでした。