同居人が心臓病になりました。+義母が末期がんという事が昨日わかった。

同居人が2016・秋に心臓の病気と診断されました。そして義母が2017・3月にいきなり末期がんとなったヨメの記憶のための記録。

義母を病院に連れていく

 

突然ですが、タイトル追加変更にしようかと。

3月初めから義母のことで慌ただしくなり、今日同居人が末っ子の引っ越しと検査入院のため西に向かったので、はぁーブログ書くか・・・という気分になりました。

BGMはレミオロメン『3月9日』です(´;ω;`)ウッ…

あ、本題はじめまーす

 

3月の初めに、義母がご飯を食べてなくて起きられず、新聞が一週間から十日ぶんぐらいポストに溜まっていたと電話があり、びっくりして前から入っていた予定を変更して

4日の土曜日に医者に連れて行かなくちゃ!と午前中に間に合うように実家に行ってみた。実家のカギを開けて入ると、義母はベッドに寝ていて、力なく「ああ・・ごめんね」とちょっとだけ頭を持ち上げたけど、今までになくやつれて生気がなく、声が小さかった。

義妹(以後イモート)も来て今までの経緯を聞いたけど、かかりつけ医には行ったとか、今日は少し動けてるとかなんだかわけわからんだし、急いで医者に連れていくことに。

もうグッタリしていてやっと車に乗せて脳外科もあるS病院へ。

車椅子を貸してもらったけど、頭ががくーんと反ってしまって見るからにまずい状況に受付の人や看護師さんが大慌てで先生に伝えてくれて、すぐ診察室に呼ばれたんだけど

先生は立ったまま一目義母を見るなり「なんでこんなになるまでほっといたんですか!?うちはかかりつけではないし、診れません、脳に障害かと思ってうちに来たのかもしれませんが、麻痺もないし脳ではないでしょう、とにかくかかりつけの先生のところで診てもらって、うちには入院もできないし無理です!!」と思いっきり『なんでうちに連れてくるんだよ!迷惑だ!!』と言わんばかりの対応。

ええー?と思いながらもかかりつけ医に電話して移動、いつも血圧の薬と眠剤をもらっているおじいちゃん先生。おばちゃん看護師さんもみんな顔見知りで、「どうしたの~〇〇さん~この間元気だったじゃない~」と優しい。母も少し安心したらしく、「そうなんですよね~こんなことになっちゃって~」と苦笑しながらも口をきいた。「どれどれ横になって・・」とセンセイがおなかをぺろっとめくったら、そこにいた看護師2人、同居人とイモート、ワタシ、先生の全員がギョッとして目を疑って絶句という同じことを瞬時に同時経験しました。

それは、義母のおなかの真ん中のおへそのあたりに、直径7,8センチ円形に周りは盛り上がって中はグジュグジュになっている潰瘍?ができている光景を見たから。

「こ、これは‥何???」とみんなが思った。

おじいちゃん先生はもしかしたらわかったのかもしれないけど、急いで診てくれる病院を探してくれました。もう午前中が終わりかけていて、大急ぎでどこにするか考えて電話してくださって、市立A病院という大きな救急病院へ車を走らせた。

救急外来で受付し少し待って呼ばれてとりあえず検査。血液取ってCTもしたらしい。

入院だと思っていたから入院の荷物も持ってきていて、入院に関する問診票も書いて待っていたら、やっと検査が終わって診察室に呼ばれ、同居人、イモート、私の順でお義母さんに向かった椅子に座った。

しばらく待って、若い当直医のセンセがおでましになり、言われたことは「お腹のできものはなにかとか皮膚や内臓の検査は今日はできないし専門の者がいないので診断もできないので、また月曜日に外来で来てください。」と。一同え?「入院できないんですか?」Dr「栄養状態が危険というわけではないし、いますぐに命の危険性はないので一旦お帰り頂いてまた後日に・・」「え?でも・・・」Dr[特別重篤なわけではないですし、また月曜日に」以下繰り返しとなり、義母を車椅乗せて、一同すごすごと診察室を出たのであります。

そうしたら、いままでぐったりしてたお義母さんが急に「おなかすいた」と大好きなコンビニのますのすしおにぎりをパクパク食べて、元気にお話もするようになった。

腑に落ちないまま実家に帰ってお義母さんをベッドに寝かせてとりあえず地域包括センターに行って相談に行って、お昼を買った。もう5時になろうとしていました。

同居人の疲れっぷりは半端なく。今日はイモートが泊まってくれることになりました。

(3月4日(土))