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同居人が心臓病になりました。+義母が末期がんという事が昨日わかった。

同居人が2016・秋に心臓の病気と診断されました。そして義母が2017・3月にいきなり末期がんとなったヨメの記憶のための記録。

義母が旅立ちました。

平成29年4月6日 10時58分

義母が旅立ちました。

最愛の息子の52歳の誕生日でした。

お誕生会やろうねって楽しみにしていたのに、それもかなわず。

桜がまだ5分咲きくらいで、満開の桜を見ることもなく、

最期の日はお話もできなかった。

でも息子に背中をさすってもらってよかったよね。

お別れの日に泣けなくてごめんね。

ヨメらしいことは何もしてあげられなかったけど、

3人の孫をかわいがってくださってありがとうございました。

大事な大事な息子さんを取ってしまってごめんなさい。

でも息子さんは、お母さんのことがいつまでも大好きだから、許してくださいね。

ずっとずっとお母さんの息子です。

81年間、長い間本当にお疲れさまでした。

 

転院の朝

朝早く、準備をして病院にむかう。

9時前に着いて、病室に行ったら、義母は苦しそうに顔をゆがめて、痛い、痛いー!!と叫んでいた。急いでナースコールをしてきてもらうと、痛みが強いようなので、痛み止めまた入れますね、と点滴の準備をしに。

顔を近づけると「〇〇は?」とイモートの名前をいうので、「あっちの病院(転院先)で待ってるよ」という。ずっと痛いーうーんうーんと声を出して唸っていて、同居人が支払いを終えて戻ってきて、背中をさすったりしている間に私は急いで荷物を片付けたりしていた。

こんなに痛がっているのを見たことはなかったし、転院して大丈夫なのか?と思って看護士さんに「大丈夫でしょうか?」と聞いたけど、「大丈夫ですよー」と言われ、準備はどんどん進められていった。

義母は、もう一度「〇〇は?」とイモートのことを聞くので、「あっちで待ってるよ。」と再度言ったけど、わかっているのかはわからなかった。会話にはならなかったし、今日は朝来た時から何も会話という感じにはなっていなかった。

薬が効いてきたのか、静かになって眠った様子のところに、介護タクシーさんがストレッチャーをもって到着。せーのでストレッチャーに移して、毛布を掛けた上に銀のシートで足元まですっぽり包んで落ちないようにベルトで止められて、病室を出た。

ありがとうございましたと言いながら、ナースステーションにも一礼しただけで慌ただしくちょうど1ヵ月お世話になった病院をあとにした。

 介護タクシーは、年配の運転手さんと、もっと年配の看護婦さん風なおばあちゃヘルパーさんで、ワタシはストレッチャーの横のシートに座って、目の前に小さな液晶テレビがついていて、北斗晶の料理コーナーみたいなのをやっていた。義母は眠っていて、マスクの下のあごが動いていたので、息してるな、と思ってイモートに今走ってるところをラインしたり、おばあちゃんヘルパーさんと世間話をしたり、桜をみたりしながらのんびりしていた。

転院先の病院に着いて、ストレッチャーは病院の入り口が違って、運転手さんに「あちらからどうぞ」と言われ、「お願いします。」と義母をお願いして病院に入ると、イモートがいて受付をしていた。「お義母さん、あっちからだって。」と言って、同居人も来て説明を受けたり、同意書を書いたりしていた。その時はイモートも義母の方にはいかないでいた。たぶん3人とも、病室に運ぶから邪魔だしと思ったし、

少しして、足の悪い老センセイが、部屋からでてきてなんとか階段を上って行くのを見て、「先生、大変だねー」とイモートと話したりしていた。そうしたら少しして受付に内線が入り「すぐ上に上がってください!」と言われ、ぎょっとして同居人、イモート、私の順で2階に上がって病室に入って見えた義母の顔は、口が開いていて、もう生きている感じではいなかった。同居人はえ?って顔で振り向くから、モニターがついていてぴこぴこしてたから「話しかけて!!」と言ってイモートはお義母さんの手を握って「お母さん!まだだよ!昨日行けなかったから会ってないじゃん!待ってよ、まだだよ!!」と呼び掛けて、同居人も何か言ってて、ワタシは近くに行けなくて、そしたらセンセイが「もう、来た時には・・・」と私に呟いた。

モニターは消えてなかったけど、しばらくして先生が「診察させてください」と言って、診察して「ご臨終です。10時58分です。」と言った。

え?????なんで????いつ、亡くなったの???もしかして、移動中だったの??私が最後に一緒にいたの???

一気にいろんなことが頭を駆け巡って。

廊下にでていたら介護タクシーの運転手さんが看護士さんに「今日、転院キャンセルになるかもってA病院に言われたんだよね」と言ってるのが聞こえた

その時はそれどういうことだったのかよくわからなかったけど。

 

転院2日前

もうあさって転院ということで、お見舞いに行く。

また4人部屋に戻っていた。「6日は引っ越ししたら〇〇くん(同居人の名前)のお誕生会やろうねぇ。」と言ったら嬉しそうにして、「桜、まだあんまり咲いてないよ」と私が言ったら、「桜なんてもうどうでもよくなっちゃった。」なんて言っていて。

笑って話して、義母も弱ってはいたけど、いつものようにおしゃべりして、「じゃあ6日の朝に、来るからね。」と言って病院を後にした。

桜はまだちらほらしか咲いてなくて、寒い日だったけど、温かい気持ちで帰ったんだった。

イモート一家、親戚のおばさん、集合

個室は広くて明るく、いい部屋だった

イモート、孫たち、ひ孫、お義母さんの妹さん夫婦とうちが偶然同じ時間に揃ってしまって病室は大人数~

留学中の息子1に電話をかけて義母とテレビ電話

義母、話せて嬉しそうだったな~初めての男の孫でとってもかわいがってくれたし

夏に帰国するまでもたないかもと電話することにした

イモートやその娘たちも代わって大騒ぎだったけど

義母はベッドに寝たままだったし、あとからだいぶ弱ってると思ったと息子1が言ってた・・・

自分の妹さんとは昔の話で盛り上がって大笑いしていたし、みんなが来てくれてうれしいーと涙ぐんでいた

入院してからすぐ涙ぐむようになってしまったのよね・・・

いつのまにかおむつから尿道カテーテルになってたけど、こっちの方がラクと言っていた

もうこのころは完全寝たきりになってしまっていた

明日転院しても大丈夫か診察するということだった

義母、固形食を食べる

私が行った日に、普通食がでて、食べたと。それもハンバーグだったのに食べたというので驚いた。義母は小さい頃にお肉は食べられなくなって、もう何十年もお肉を食べたことはなかった。それなのに、ハンバーグを食べたなんて!!?自分でもびっくりしたなんて言ってたけど、そんな話をしていたのに、急に戻してしまって。それもいつもの容器がなくて、とっさにそこにあったビニール袋を口に当ててワタシがおさえて、でもどんどん何度も戻してしまって、あわててナースコールをしたけど看護婦さんがゆっくりきてどうしました~ってベッドの足の方からテーブル越しに眺めている。

私がおさえている大量の吐しゃ物でこぼれそうなビニール袋をみながら、「落ち着いたかな、落ち着いたら着替えるから、あーそれ(ビニール袋)もらいますよ」って手を延ばすだけ。いままですごい優しかったのに、なんなのこの態度??と思いながら「すみません」と言って袋を渡したけど。

着替えは看護師ではない人が手伝ってくれた

その人は優しかった。なかなか転院しないから冷たくなったの?最初はとても優しかったのに・・・そんなことはないのかな、疲れていたのかな・・

その夜も、寝ていて戻してしまって義母は気づかず隣のベッドの人がナースコールをしてくれたそうで、次の日に孫がお見舞いに行ったときは個室に移っていた。

 

義母からショックな事実を聞かされる

いろいろ探したけど、実家の近くの老人病院に転院することに決まり、イモートが転院先に面談に行ってくれて、ソーシャルワーカーさん同士で話してもらって、なんだかんだしたあげく転院は4月6日になった。4月6日は大好きな息子の誕生日だからいいね~ということで。

お義母さんは、今の病院がいいから引っ越ししたくないらしく、がっかりするからまだ日にちは伝えなかったけど、「引っ越ししないといけないんだよねぇ。」と言ってしょぼくれてた。

このころに、突然「私が反対してたから、結婚するのが遅くなっちゃってごめんねぇ。」と言われてえ???そんなこと初めて聞いたんだけど??ってなったんだけど、義母は「(息子を)お嫁さんに取られちゃうと思って、長く苦しんだのよ」と・・・

そんなことがあったの?今までそんなこと全く知らなかったし、結婚前からお義母さんはとても優しくて、いつもにこにこしていて、イジワルされたこともなかったし、同居人のグチも聞いてくれていたのに??

続けて「婿にはどうしても行かせたくなかったのよ、本人はいってもいいって言ってたけど」って。はぁ!?婿にきてくれなんて1ミリも言ってないよ?????私も両親も。

「男の子一人の親はみんなそうだ、息子が結婚するってことになったらすごい苦しいんだよ」とかそのあと延々と話されたけど、衝撃過ぎてほとんど頭に入ってこなかったけど、返事だけはしてたかも。

驚きすぎて、家に帰ってから同居人にそうだったのか聞いたら、長く苦しんでたのとこは目を丸くしたけど無言で、婿養子の話は「そんなこと言ったことねえよ」と言ってた

あの無言の意味はなんだろう・・・そうだったけどワタシには言わなかったということなのか??後日イモートにも聞いたら、「あー、そうだったなー、近所の〇〇さんにも婿養子のこととか相談してたみたいよー」だって!!!

結婚26年後に知った当時の真実っていうの?

私にはものすごい衝撃の事実だったのであった。

 

息子は大事よ。

同居人が検査入院を終えて帰ってきて、特に問題はなかったと。

ミニ さくらが始まって、私もお見舞いは少し休憩。でも日曜日には午前中で引き上げてそのまま病院へ。

同居人が来ると、やはりお義母さんは嬉しそう。18日に2人で撮ってあげた写真は、満面の笑みだったし。

息子の心臓のことも、このころは口に出して心配していた。なぜか「私のせい」というから、「そんなことないよー」と言ったけど。なんでそう思ったのだろう?息子のことはなんでも心配だからかもしれない。